ボクサー

ボクシングには興味が無いのですが、一人のボクサーと話をして感銘を受けたことがあります。
かなり昔のことですが、アメリカの国内線に一人で乗ったときのことでした。隣に坐ったのは、アラブ系と思われる痩せた青年でした。隣がこっちのシートにはみ出してくるような巨デブでなくて良かったと思いつつも、その痩せ方はアメリカにおいてはちょっと不思議な感じでした。一人旅だし。外国から来たばかりかなぁとも思ったり。
私はいくぶん不躾な視線を送っていたであろうに、彼はにこやかに挨拶してきました。男が挨拶してきたりにこやかに目線を合わせてくるのは外国で一人でウロウロしている日本女性に対しては(私のような不細工でも)「やらないか」が多いので一瞬警戒したけど、とても礼儀正しくて穏やかなんです。ぎらぎらしたところが無いというか。これも珍しい。
英語になまりも無いようだし一体何なんだこの人は、と私が思っていると「ボクシングの試合が終わって、ホームタウンに帰るところなんです。」と。筋っぽく引き締まった体も、旅の理由も納得。
「へぇ〜、勝ったの?」「勝ちましたよ」少し誇らしげに微笑んで答えましたが、それがなんだか格闘技の勝者というイメージから離れた謙虚さだったんだよね。パンチ喰らってるからか顔の造作はイマイチでしたが、いい笑顔。なんという好青年。こんないい子だったらわたくしナンパされてもよくってよ、とか思っちゃいました。されませんでしたけど。
そのうち昼食が配られたので、あーまた飛行機のクソまずいメシだわ、と思いつつちょっと手をつけて予想以上の不味さに鳥の胸肉をゴッソリ残しました。隣の好青年は美味そうにかつマナーよく食べています。まぁ若い男が運動してりゃー何でも食べるよなーと思って見ていたのですが、終わったら丁寧にお祈りか何かして感謝していました。
「試合で減量しなければいけないので、美味しいものをたっぷり食べるのは、いつもというわけではないのです」
…はぁ…なんというストイックな世界でしょう。精神の修養もできてるよ、若いのに。
次の試合がテレビ放映されるというので日時をメモして、空港で別れました。

試合の日、約束したとおり私はテレビをつけました。対戦相手はハンサムなメキシカンでめちゃめちゃ強い。素人目にも優劣はハッキリしていました。あの好青年は負けてしまいました…。そのあと彼の名前を聞くこともありませんでしたが、対戦相手はどんどん勝ち進みチャンピオンになって有名になりました。
その対戦相手の名は、オスカー・デ・ラ・ホーヤ。今も有名な人ですね。無名の若者たちが一度しかない青春をかけて戦って、そしてその多くは負けてリングを去っているんだなぁと、あの彼の微笑をときどき思い出します。