自分の考えをまとめるための作業

中国政府によるチベット弾圧の話をきいてから考えたり思い出したりしたことをツラツラと書くことにします。いつもにも増してわけのわからん文章になるとおもうのですいません。自分は何をしたらいいのか、よくわからないのです。ブログに書くと自分の考えがまとまりやすいので。

  • 「一流国」「文化人」のどろどろした内面

私は中国政府による言論の弾圧には断固反対だし、北京五輪も反対なんだけど、西洋人の異様なアンチ中国ムードの盛り上がりにはなんとなく違和感というか、イヤな感じはあります。スローガンは「チベット人の人権を救え」であるが、それを実際にここまで盛り上げるのは、正義感よりもっと激しい感情の存在があるんじゃないかと。
中国人たちの言う「これは中国の発展に対するヨソの国の嫉妬」という面は確かにあると思う。環境破壊や労働者の人権の問題をはらみながらも経済発展はめざましい。(どこの国も経済発展の時期にはそういう問題はある。)
西洋の善悪観では嫉妬は「悪」なので表に出せないということも聞いたことがあるし、なんせそういう感情は自分でも認めるのはシャクだよねぇ。だけど、正義のためにバッシングするなら一流国の文化人らしい感じがする。「○○人を救うために立ち上がるアテクシ!かっこいい!」(○○の中にはエキゾチックな貧乏国の名前を入れるとさらに文化的な香りがアップ。)

ちょっと話がズレるけど、私が車を運転していると、驚いた顔でじろじろ見る人がよくいます。免許も車も高いので、こっちの人は持ってない場合も多い。だから驚きの中には明らかな不快感も混じっているのがときどき感じられる。(旅行者ではない)アジアの女がカネを持っているのが面白くない。

西洋人の本音は「アジア人はずーっと安い賃金で働いてればいいのよ!私たちより金持ちになるなんて許せない!!!」なんだろうね。
…ここまで書いて思ったんだけど、これって「アジア人」のかわりに「中国人」と置換すると、私が中国に対する本音そのものじゃないか?!なんせ昔から安くて面白くて手作り品もどっさりある中国雑貨とか大好きでしたから。安い賃金できちんとした仕事をしてくれる中国の存在は、常に有難かった。

要は、ゆとりのある生活っていうのは、どこかヨソに低賃金悪条件労働に従事する人が居ないと成り立たないのか…

まず、自分が変わらなきゃいけないってことなのかも。