しかたがないね

京都の送り火陸前高田の薪を使う→使わない→やっぱり使う→やっぱり使わない、という花びら占い状態(愛してる、愛してない、愛してる…ってやつね)になってしまいました。

被災者の心を何度も踏みにじる行為と非難ゴウゴウですが、なんかもう仕方が無いって気がしてきました。ロバを連れた親子の寓話のように優柔不断で無知(私たち全員と同じように。)ではあるが、この京都の実行委員会(と呼ぶのかどうか知らんが)の人たちは東海テレビのように悪意によって動かされているのではないからだ。

1.最初は善意で受け入れた。基本的に地元のお盆の行事なのにヨソの魂も受け持ってあげる親切心がベース。
2.でもホウシャノウガーっていうクレームが来た。一旦汚染されたら大変なのは確かです!慎重にならざるを得ないでしょう。
3.検査したら大丈夫な結果。被災地の人の心情を考えると使うほうが良いので決定を覆す。優しさですよね。
4。でも樹皮付きの松を検査したらやっぱりホウシャノーがあったのでやめた。安全は全てに優先されるので、私とかよその土地の者が口を挟むことではない。

結果を二転三転としてしまった心の動きを考えると悲しくなってきます。そこにあるのは悪意ではなく、地元の人を守りたい思い、そして被災者の心の支えになりたいという二つの思い。そしてこの二つが両立はしないというジレンマだからです。

ただ問題は、樹皮付きを検査したこと。最初の薪は樹皮なしで、二度目が樹皮付きであったらしいのです。専門家の方によると、外側に放射性物質がたくさん付着しているので、皮がついているとないでは検査結果に大きな開きが出るそうですよ。

科学者、専門家を含めて原発の問題を全て把握してる人は居ないようです。(事故後、立派な人たちも私の見る限りみな間違ったことを言った。良心的な人たちは訂正したけれども。)ましてや私みたいな者はひたすらに無知で無力な存在かもしれない。でも最後まで心の優しさだけは持っていることができるんじゃないかな。少なくとそう努力しようと思いました。