好むと好まざるにかかわらず存在する原発

私は「脱原発を考え、生活の中で脱電力を実行」しています。具体的には、暖房やお湯のために薪の自給自足をささやかですが手伝ったりしてます。そのお湯の使用量も去年からかなり控えています。

だけど私は「反原発」じゃあないんですよね。原発を急にやめて、それに代わるエネルギーがすぐに確保することが出来るのか? 私にはそんな難しいことはわかりません。(政治家は人気取りのために軽々しく口にするだろうが。)

私自身は、電気自体が10分の1になってもさほど苦痛を感じないで生きていけると思う。だけど社会全体で見たら違う。借金して作った工場の稼動を止めて、従業員に給料払えなかったらどうするのか。

いま社会の基本を支えているエネルギーにどうして簡単に反対することが出来ましょう?

外国を見てみればフィンランド原発推進スウェーデンでは1980年に国民投票により全ての原発を2010年までに廃止すると決定したものの、代わりのエネルギーが見つからないため、未だに稼動しています。

また、先回の日記に書いたように日本の企業は海外への原発売り込みに力を入れており、収益の増大を見込んでいる。

残念ながら地球上から原発が無くなるのは、おそらく私が生きているうちには無いでしょう。
私達は、好むと好まざるにかかわらず、この悪夢のような毒の入った壷のそばで生きていかなきゃならない。

ここで私がはっきり言えるのは、事故対策をしなさいということ。事故は起こると想定して対策をぬかりなくしておけということです。原発事故対策の初動、屋内退避と安定ヨウ素剤の服用は常識でしょう。だが日本政府は何もしなかった。

飛行機会社の重役が「酸素マスクや救命胴衣の説明などしたらお客さんに不安感を与えてしまう。わが社が事故を起こすわけない」と言うのと同じぐらいナンセンスなことを、原発事故に関して実際やっているのが日本政府です。

私はこのような原発事故は、また起こると思っています。